前回までのあらすじ
海辺で棒を振る武蔵に親子連れの子どもの方が話しかけてきます。ずっと同じことをしている武蔵に耳が聴こえないんだねと言い残します。武蔵は小次郎に、友に会いたいと願います…
仏師の家族との出逢い
船島は後に巌流島と名付けられることとなります。おばばの供養で世話になった寺で奉公し、又八は印可目録を小次郎に届けに小倉へ向かいます
後に語り部となった又八は、武蔵小倉に向かうという話でひと稼ぎしています
武蔵は己の内の音に耳を傾けます。武蔵は追手が来たと思い川に飛び込みます。しかしどうやら追手ではなく、豊前小倉藩が武蔵を指南役に召し抱える用意があるというのです!
場面変わって、徳川秀忠が細川忠利と話をしています。徳川家も武蔵を欲しがりましたが、後日藩主となる忠利に武蔵を譲るというのです。しかし武蔵は聞く耳持たず、逃げ回っています。武蔵は川の中で、小次郎のことを考えます
武蔵は気づくと女にひと肌で温めてもらっています。川で気を失っていたようです。主人は仏師で、彫り物の仕事をしています。武蔵はここの家族の世話になりながら畑仕事を手伝います
吉岡70人斬りから巌流島までの7年間の話を又八は語らいます。実際見てはいなかったのに、まるで全て見て知っているかのような語り口です
主人は武蔵に彫り物の道具を貸しながら、武蔵が腰に差している刀の凄まじさを恐れます。家族の末っ子が病弱で、ついに死んでしまいます。しかし女は身ごもり、新たな子を産みます。武蔵は主人の掘る仏様の顔が柔らかくなったと感じます
武蔵は自分が宮本武蔵だと明かします。主人は御仏を彫る時の自分のありようも妻や子のことも近いところ遠いところの違いはあれど同じ中心の円、戻る真ん中は同じだと言います。自分の真ん中に辿り着けない武蔵は、俺はまだ強いのかと自問します
武蔵は世話になった家族に別れを告げます。もう一度だけ本当に強い男と闘いたいと言うのです。流浪の日々は終わり、殺し合いの螺旋を降り、重荷を降ろした途端光も失ったと感じます。すると、また武蔵を探し訪ねてくる者がいます
小次郎、一躍時の人
又八は今度は小次郎の話を始めます。小次郎の小倉での日々は波乱の幕開けだったと言います
小倉に着いた小次郎は、橋の上で紙風船を扱っています。肩がぶつかった男が小次郎に殴りかかりますが、紙風船を操りながら小次郎は避けてしまいます。いつしか小次郎を囲み大騒ぎになってしまいます。すると子どもが船に乗り、誤って漕ぎ手なく船が動いてしまいます
子どもが流されているのを悟ると、小次郎は服を脱ぎ、川に飛び込みます!小次郎は紙風船を子どもに渡します。男衆は小次郎に後れを取ってなるものかと川に飛び込みます。子どもを救った小次郎は、巌流先生と呼ばれ、小倉は一日で小次郎の町になったというくだりでこの巻は終わります
まとめ
語り部になった又八は武蔵と小次郎の話を人々に聞かせて日銭を稼いでいます。二人を知る唯一の人間として、かの有名な巌流島の決闘までの空白の7年間の話をするのです
武蔵はある仏師の家族と出逢います。しばらくその家族の世話になります。仏師という自分と対極にいる人の話を聞きながら、武蔵は自分が道を失っていることに気づきます。殺し合いの螺旋を降り、重荷を降ろした途端、光も失ったと感じます。しかし、そんな武蔵は引く手数多で、なんと将軍徳川家や小倉藩からの執拗な勧誘に合います
話としてはいよいよ巌流島の決闘へ…という流れですが、井上雄彦先生はそれまでの空白の7年の時を武蔵・小次郎目線で描きたいようです。今巻は特に斬り合い等はないのですが、武蔵が虚空の極地に至り、なお強い者を求めてしまう様は、人間の一番になりたい・極めたいという我欲と、そこまで男を狂わせる剣技について考えさせられます
一方小次郎は小倉に着くとひと騒動起こします。結果人助けをしたことで一躍有名人、小倉は小次郎の町になってしまうのです!耳の聴こえない小次郎が、剣術指南役としてどんな立ち振る舞いを見せていくのか興味深いですね!続巻も読みましょう!!
おまけ
前巻で紹介した「いのうえの」の画集にはもう一つ、三日月編というものがあります。こちらは井上雄彦最後のマンガ展までの工程を写真・文章で構成された画集です。その緻密な、大迫力のマンガ展の裏側が知れる興味深い作品となっていますので、是非ご覧ください
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