「バガボンド」30巻の数々の激戦と成長譚~小次郎が小倉へ!植田の怨念におつうは?武蔵は天下無双の答えを見出し、なおも探求の道へと進みます~

前回までのあらすじ

又八おばばを探しています。おばばの噂を聞き、やっと見つけたと思いきや、おばばが血を吐いているところを又八が発見します…

小次郎が細川家の剣術指南役に!?

天下無双とはただの言葉…多くの猛者・偉人を前にし、武蔵は自分が天下無双と言われ、終わったと感じます

正気を取り戻した小川は、剣を今日限り置いて小次郎に降参します。一番でなくてもお前は強いと説得する岩間ですが、小川の決意は固く、小次郎と立ち会って心が折れたと言います。更に剣術指南役として細川家内外における地位・信用をそのまま小次郎に譲り、聾唖の小次郎を後ろから支える役になるというのです!

岩間は混乱しつつも小川の願いを受け入れ、小次郎を迎え入れます。小次郎は船で小倉へ向かいます。小川は船の帆先によじ登り、剣の道を諦める悔しさと寂しさを心の限り叫びます。自身の夢を小次郎に託します

植田の亡霊の姿はおつうにしか見えないようです。何故見えるのか問うと、武蔵の大事な女だからかなと答えます。布団に入ったおつう植田の亡霊に憑りつかれ、身体が浮きます!吉岡十剣の堀川は病を抱えていた老親と同居していました。老親が服毒自殺する様を見せられます。まだまだ見せるものは沢山ある、吉岡の者の恨みは深いと植田は言います

おつうは何故私に…と困惑しつつ、そんなに憎いなら武蔵を呪い殺したら?と言います。植田は名のあるものを倒して自分の名を挙げようとしている武者修行者を見せます。どの時代も同じなのです。恨まれ妬まれ…武蔵は死ぬぞという植田に、おつうは今更どうしようもない、昔からそうだったのだからと開き直ります。植田は突然おつうから引き離れ、棄てられた人間は自分の望みを諦めなければならんのかと言います

同じことを考える沢庵と光悦

京都所司代板倉勝重武蔵と面会します。天下無双とは何だと聞かれ、武蔵は「ただの言葉…陽炎のように近づいたら消えてなくなりました」と答えます。武蔵は殺し合いの螺旋から降りると言われた宍戸梅軒戦の頃から天下無双に近づくにつれ、目をそらし、その後の闘い全てに勝ち、天下無双と名付けた陽炎、ただそれだけのことに気づくのに22年の年月を費やしたと言います

沢庵光悦に逢いに行きます。これからの武蔵の道を考えていると小次郎のことが浮かんできたというのです。光悦も同じことを考えていました。岩間の菊一文字を研ぎながら、武蔵小次郎お互いが翼の片割れ…抜き身の刀そのものならお互いがお互いの鞘となりうると言います。刀は「ある」ものではなく人が作ったもの、沢庵は人より強くなろうとして人を斬る為に剣を作った結果、人は自ら強さを遠ざけたのでしょうかと問います

光悦はそうだとしたら人は弱さを知る為に剣を作ったのかもしれません…その人を作ったのは天ですからと答えます。弱さを経ていない強さはないでしょう?と。刀の美を極めるに至ることが叶えば、その刀はもはや斬るまでもないもの…沢庵光悦武蔵小倉に向かわせ、小次郎と引き合わせたいと考えます

武蔵は自ら薪割りを志願します。退屈で(身体を動かしていないと)死んでしまうと言うのです(笑)

もう一度命のやり取りを…

又八は改心し、病床のおばばを看病します。宮本村で一からやり直すと言うのです!

光悦武蔵徳川将軍家2代目秀忠公より頼りが届いていると言います!最早引く手数多なのです

武蔵は再度板倉と面会します。天下分け目と言われた戦は終わったが、実際には世はまだ安寧には至らず…いつまた起こるとも知れぬ戦に為政者は備えを怠ってはおらぬ、天下無双とは陽炎という22年でその身をもって辿り着いた答えをこの国のすべての民に伝えてはどうかと言います。武蔵はガラじゃねえと感じます

板倉の難しい話に武蔵は分からないと答えますが、「別れ道はいつも心のうちにあるわな、真ん中がいちばんいい」と言う言葉には同意します。求められれば迷わず仕官しなさいという板倉に、武蔵は何故そんなに良くしてくれるのか問います

板倉吉岡拳法とは竹馬の友で、清十郎伝七郎もこの手に抱いてやったと言います。例えばすべての人がおぬしのように強くあれたら、闘いは起こらない、闘う必要がないとは思わんかと言います

寺で和尚と念仏を唱えているおつうのまえに再度植田が現れます。植田おつう武蔵を導いてくれと言います。お前の存在こそが武蔵が心に灯してきた光だからだと説きます

武蔵吉岡十剣の隻腕の太田黒武蔵を斬ると乗り込んできたことを知ります。おつうとともに等叶わぬ夢…と自分を戒めると、牢番は武蔵を道場に招待したいと言うのです。脚を引きずりながら道場に着き、満足に剣も振るえない武蔵を道場の者は拍手で迎え入れます。武蔵の死に方によっては剣に生きた人間、剣そのものの価値が否定されると言います

道場の帰り道、武蔵は案内してくれた者を杖で屠り、逃走します。己のすべてをぶつけさせてくれる相手がいた…陽炎を追うのではなく技の極みを…その極みのほかは何も望まないと。武蔵は「天の神サンよ、命を投げ出しぶつけるしかない相手ともう一度命のやりとりを、もう一度俺にくれ」と願ったところでこの巻は終わります

まとめ


小川が剣の道を求道する中で、自分より遥かな高みにいる小次郎と出逢い、引退し、小次郎に自分の地位を譲るというのは物凄い展開です。強さの極みに近い人というのは、その強さの違いを敏感に察知できると言う話は、物事の本質・本物が分かる人は全て見通せるというものを感じます。聾唖者である小次郎が藩の剣術指南役というのは荷が重い気もしますが、小川がバックアップするということで、流浪の小次郎もついに落ち着く先が見つかったのかもしれません

天下無双とは陽炎だと気づくのに22年かかったと言う武蔵、その境地に達するまでの道程を考えると、本当に多くの修羅場を潜り抜け、精進してきたから言える言葉でしょう。板倉は多くの人を殺してきた武蔵を罰するのではなく、争いの起こらない世の中にしていくために武蔵のような人間が必要だと考えているようです。求道者としての武蔵、本人はガラじゃないと考えているようですが、一見武蔵の将来も見えてたように思えます

しかし、まだ武蔵の剣への我執は止まらないのです!脚の深手を負ってもなお、剣に生きようとする武蔵はなんと親切にしてくれた牢番を屠り、逃げ出してしまいます!ただでさえ追手に追われる身、何で自ら茨の道に進もうとするのでしょう?そこが武蔵武蔵たる所以なのかもしれません

おつうに取り巻く植田の亡霊、それは吉岡の怨念の結晶であり、武蔵ではなくおつうに憑りつくことで、武蔵の大切な人に何かを伝えようとしています。結果おつう武蔵を導いてほしいという植田、憎しみも残りつつも、ただでは死んでくれぬなと言いたいのでしょうか?

又八の親孝行も始まり、止まっていた時がまた動きだそうとしています!続巻も読みましょう!!

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